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豊前の文化

豊前神楽

豊前神楽

豊前神楽は6つの神楽構(保存会)により伝承されています。演目には「式神楽」の花神楽・笹神楽・弓正護・地割などは神楽本来の優雅な舞があります。また「出雲神話」にもとづく駈仙(御先)神楽、大蛇退治や神迎、岩戸開き、さらには盆神楽なども楽しい演目です。圧巻は、高さ10mにも及ぶ斎鉾と呼ばれる柱に鬼がのぼる湯立て神楽で、見ている人の度肝を抜きます。

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お田植祭

お田植祭

求菩提山、国玉神社中宮前の広場にて毎年3月の最終日曜日に行われる民俗芸能。かつて、豊前修験道の聖地として栄えた求菩提山のその最大の祭礼が「松会(まつえ)」と呼ばれるもので、そのうち田行事である「お田植え祭り」が今に伝えられています。その年の豊作を予め祝う予祝祭で、田植えにまつわる一連の農事風景を松役という演者や子どもたち(稚児・早乙女)がおもしろおかしく演じます。併せて神楽の奉納や神輿の巡行などもあり、山に春の訪れを告げる祭りとして多くの人が参拝します。

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清原神事

清原神事

嘯吹八幡神社の春の大祭。神輿と山鉾を中心とした神幸行事がお旅所である清原神事場まで巡行します。道中決められた場所では、それぞれの神輿が天高く揚げられ氏子によって激しく回転させ雄姿を競います。お立ちとお着きには、山内神楽構による神楽の奉納が行われ、2日目のお旅所から本社にお下りする際に奉納される湯立神楽は必見です。

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八屋祇園

八屋祇園

大富神社の春の大祭である「神幸祭」 の起源は古く、『宗像八幡宮縁起』によれば、天平12年(740)の「藤原広嗣の乱」に際し、その鎮圧に功績のあった上毛郡の擬大領、紀宇麻呂の凱旋の様子を模したものと言われ、毎年4月30日と5月1日の両日に行われる。祭りの1日目は、神前に安置された神輿三体の前で舟歌組による「天狗そろい」が歌われ、続いて「感応楽」が奉納された後(隔年)、神輿、威儀物、傘鉾などの行列が各地区をとおり八尋浜の御旅所を目指す。途中で大船、山鉾、踊り車などがこの行列を迎え、御旅所に着くころには大変な賑わいを見せる。ここでお着きの神事を行い、船歌組によって「泰平楽」が奉納され、再び「感応楽」の奉納で初日を終わる。2日目は、お立ちの神事の後、大富神社へ帰るが、両日とも地区毎に氏子が総出で参加し、地域を上げての祭りとして盛大に繰り広げられる。

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感応楽

感応楽

大富神社では春の「神幸祭(じんこうさい)」、夏の「名越祭(なこしさい)」秋の「御供揃(ごくぞれえ)祭」と三つの大祭があり、中でも最も規模の大きいものが春の神幸祭です。この神幸祭(八屋祇園)の時に隔年で奉納されるのが「感応楽」です。感応楽は天地感応楽・国楽とも呼ばれています。舞の中心になるのは、中楽六人と団扇使二人で、団扇使は上裃(かみしも)に菅(すげ)笠、角団扇をもち楽の指揮をとります。中楽は前垂、ヘラの皮の腰蓑(こしみの)、赫熊(しゃぐま)をつけ、締太鼓を胸の前に抱え、背に幣を立てるという出で立ちで、中心的な役割を果たします。お囃子は笛・鉦で構成され、この他に読み立て・丸大団扇持ち、汐水取り、さらに側楽(がわがく)(花楽)として中楽と同じ服装で子供達が参加します。中央に幣をたてて、団扇使い、中楽を内側に、側楽・囃子と三重の円陣を組んで、中楽は撥を大きく振りあげ太鼓を打ち鳴らし、激しい動きを通じて神と感応する、という舞楽です。

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宇島祇園

宇島祇園

宇島祇園の始まりは、宇島築港中の文政8年(1825年)小倉藩主小笠原忠固公が、海路江戸表へ参勤交代の途中、工事の進捗状況を確認に訪れた折に、大時化に遭いあわや遭難というところを、宇島より亀町、蓬莱町の漁民が漁船で漕ぎ出し無事宇島港まで曳航しました。これを記念して、翌文政9年より殿様祭りとして祇園祭を執り行うようになりました。毎年5月3、4、5日に開催され、神輿と6台の山車が町内を練り歩きます。

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畑のどんど焼き

畑のどんど焼き

どんど焼きは日本各地に残る火祭りで、もともと旧暦の小正月(1月15日)に行なわれていた無病息災を祈る農村行事です。昔はどこでも見られたお祭ですが、今では本当に少なくなりました。中でも、畑地区のどんど焼きはおこもり小屋という竹とワラで作った小屋で、一週間程地域の人達が交流し、その後、小屋に火を放って、古いお札や注連縄を一緒に燃やし、無病息災を祈る珍しい祭りです。

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